イントロを聴くだけで心臓を掻き毟りたくなるくらい感傷にまみれた曲がある。
ひとり相撲をし、空回り、鬱状態だったひとつ前の春を思い出す。
選択肢の中からものを選ぶということが全く出来なくなって、日常生活に支障をきたし始めた頃、同じように好きな音楽が分からなくなった。
人に誇るほどではないけれど好きな音楽はたくさんあった。けれどその春はやはり少し違ったのだと思う。
「その曲をいま聴くべきなのか?」
もちろんこの問いに正解などない。
他人にその判断を頼ることも出来ないような、そんな普段では感じることのない些細な疑問や不安が、選曲だけではなくありとあらゆるものに生まれていた。
選べないとどうなるかというと、ひとつのものを繰り返すようになる。
毎日同じものを食べ、同じ曲をひたすら聴いた。
RADWINPSの野田洋次郎によるillionの曲である「Dream Play Sick」という曲をひたすらに聴いていた。
直訳すると「夢遊病」というタイトルが付けられたこの曲の歌い出しがこれ。
あぁ あぁ 夢が 醒めたら あぁ どこへ行こう
またと 見れない 今日をさ あぁ 探しにいこうよ
あぁ あぁ 夢が 醒めても 消えない 夢を
自分のいる状態は悪い夢だと思い込もうとしていたのだと思う。
意地の悪い春の夢から醒めたらきっと元に戻って楽しく平穏な毎日が送れるだろうと、目を開きながら眠り、音楽を聴きながら耳を塞いでいた。
あの春から一年が経とうとしている。
また環境の変化が起きて浮き足立ち、これは夢なのではないかとぼんやり思うことが増えてきた。
自分の夢は、と語る新しく知り合った人々を見て、夢を見ることは高尚なことなのだろうかと考える。