玉子とバター

おいしいサンドイッチの作り方

細胞膜

単細胞生物が死ぬ瞬間を捉えた動画のことが頭から離れない。

せわしなく動いていると思うもつかの間、突然細胞膜がゆるゆると破れ始めて、溶けるように最後は四散していく単細胞生物

 

生物としての形がだんだんと失われているにも関わらず、繊毛というか足というか周りのわしゃわしゃしたところがずっと動き続けている。「死にたくないヨー」なんて勝手にアテレコしつつ、抵抗してるみたいだとかぼんやり考えて薄目で見ていた。多足類感が気持ち悪くて薄目で見た。

 

そうして気がついたのは、溶け出した瞬間に繊毛の動きが慌ただしく、必死になっているという思い込みの存在。動画のタイトルに引きずられた感傷。

そんなものは勝手に人間目線で作り上げたストーリーに過ぎなくて、実のところ、あの単細胞生物が形状を維持出来なくなったと悟ることが可能なのかも、悟った途端に少しでも生きるんだ!死にたくない!と抗うのかも、あの単細胞生物しかわからない。多分。

 

もし突然自分の形状が維持できなくなっていくことに気が付いたら、最初の方は抵抗して動くせいでより早くに末端の指とかを失って、でも途中で諦めがついて自然に崩れていくのを待つタイプだと思いたい。そんなの絶対やだけど。グロはだめ。

 

そんなSFみたいなことは起こるはずもないけれど、という思い込み。

本当のことなど分からない、本当の定義は本当は出来ないんだから。

 

有川浩の「塩の街」を思い出す。最高の本。